干支九星気学について

占いの歴史は、文化の発生地インドで四行思想が作られる。
インドでは太陽は、死の神ヤキ消滅させる。月が女神で、中国では、太陽は恵みの神、月が死の神と変化する。漢時代の中国に集まった科学が、集大成され陰陽五行の思想となる。元時代(モンゴル)全世界の科学が再度集大成して、特に哲学の輸入で天文学が発達し180年暦が作られた。干支九星60×3倍とした。10種類の解釈、十翼のうちの説卦伝が今日の「うらない」の元となりました。 風水思想一陰宅が墓相(先祖の良い住み家)この世は苦の世界と云う考え方からあの世では、良い生活をという願い。
 家相と単に云えば陽宅の事で、日本に発達したものです。世界の文化が東に向かい流れて来たものが集大成された。これが日出ずる日ノ本の国の日本で、独自の文化が花を開き神道という、多神というより自然神を主とし、自然の内に人がどう対応したならばよくなるかを考えた気の流れを重視した。
 これが「家相」になり太陽光線を取り入れ、自然のままの気=木造の家を作り、床を地面につけた。土の上で生活する「保気」を中心とした学問になった。ゆえにこの考え方は江戸時代中頃に輸入された自然科学で、まだ約200年の実験科学でもあります。
 紀元前10世紀… 孔子が生れたのが紀元前500年です。実際には7、800年前だと思いますが、周の時代の占いの言葉を集めた本が易経です。しかし、これでは占いはできません。周易にインドの四行思想が中国に入って五行思想になる。それがキリストが生れる前後、そして五行思想が完全に占いとして定着するのに500年かかります。
中国で発生して日本に入るまで1500年、明の時代に三白宝海ができて、その後、元の時代に郭氏元経ができました。郭氏元経を日本に輸入したのが江戸時代の中期です。
 日本で本式に占いがやられるようになったのは、江戸の中期以降です。それまでは違う占いをやっていました。その原典は周易の中の十翼です。

 江戸時代になって、清からいろいろな運命学の書が

(大阪講習会  望月 治 講述より抜粋)
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